昭和49年06月24日 朝の御理
解御理解 第4節
「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられる様になった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である。金光大神の言う事に背かぬ様よく守って信心せよ。まさかの折には天地金乃神と言うには及ばぬ。金光大神助けてくれと言えばおかげを授けてやる。」
神からも氏子からも両方からのおんじんとこう言われる。私共からも金光大神がおんじんであると言う事は。本当に金光大神のお取次ぎを頂いて、御教えを頂いて、私共が本当に幸せのおかげを頂くと言う事、本当のおかげを受けて初めて、金光大神をおんじんとして頂く事が出来るのです。それは成程おかげを頂いて熱心に信心しておっても、スパッと止める人がありましょうが。
金光大神を恩人と思える程しの、言わばおかげを頂いていなかったからです。金光大神を恩人と思えておる程しのおかげを受けていなかったから、信心を止めたり他に走ったりする訳です。だからその人の為には金光大神は、だから恩人じゃないと言う事になります。まあ、例えば金光大神と言わんでも、なら親先生でもいいです。「もう本当に親先生おかげを頂いて、おかげで助かりました。一生ご恩は忘れません。」と例えば言うておってもです。信心を止める人がありましょう。
そしてかえって今度は反対に、親先生の悪口を言う様な人もあります。止めたりする人は殆どそうです。ですから結局、その時に言うておった恩人と言うておったのは、それは嘘であったと言う事になります。だから私共がです。この所の本当に金光大神が恩人と思える程しのおかげを日々頂いて行かなければいけないと言う事です。本当に金光大神この世におわしまさなければ今日の私はないと、それが思い思い込めれる所迄です。おかげを頂かねばなりませんやっぱり。
そして始めて金光大神、天地金乃神がここに言うとられます様に、これは天地金乃神様のお言葉ですよね。金光大神は氏子からもいうなら、神からも両方からの恩人と、その両方からの恩人と思える。氏子が思い神様が思う、私共も思わせて頂いて初めて、金光教という信心は成り立つのです。だからどうでもそこん所のおかげを受けなければならんと言う事であります。私は今朝から一寸ショッキングなお夢を頂いた。
あるご信者さんですけれども、その方が、着物もなんといいますか着崩してお乳を出して、もう髪を乱して私の所に逃げ込んで来た、というお夢である。その後から短刀を持ったその方の、ならご主人と言うか恋人と言うか、その人が短刀を持ってその追いかけて来ておる所であった。その雰囲気から私は感じたんですけれども、その男の方が言ってます。「その女を殺して自分も死ぬんだ」とこう言ってられます。
それで私は、もう正にその女の人に斬り付けようと致しますからね、私が男の人の短刀を振り上げておる人に飛び付いて、そしてその拍子に短刀を取り落とされた、そして私がその人の首ねっこに抱き付いて。本当にここに金光大神のお取次ぎを頂いて、あんたも助かりこの人も助かる、又、関係の出来ておった、いうなら、三角関係であった模様でしたからその人も助かる道があるのにどうしてお取次ぎを頂だかんのかと言うて。私が言うておるところでした。
そしたらその女の人がです。「いいえ、どうせ私はこういうことをしたのだから、この人に殺されなければいけない。」とこう言う。自分はこういう罪深い事をしたのだから、もう殺されるのは当然だ、とまあこう「殺すなら殺せ」と言った様な態度をとる。私がその男の方に、懇々とお取次ぎを頂いて助かる事を話しましたら、男の方が男泣きにわんわん泣いて、表へ出て行く所で眼が覚めた。
私はこのお夢の中から、思わせて頂くのですけれども、お互いに例えば罪業の、例えば罪を犯したと思う。自分が悪い事をしたと思う。自分はもうおかげは頂かれん、自分の様な人間はとても、おかげの頂かれる筈はなかと、腹の底でそう決めて、掛かっておるという人達がありますね。信心しとっても。もう私のごとある者んなとても、極楽行きはとても出来んと思うておる人がある。
それは特に、信心のない人なんかは、やっぱそうですが、信心があっても、とても私はおかげは受けられん、自分はこう言う悪い事をしているのだからと。その女の人がそうです。夢の中に現れている女の人がそうなんです。お願いはしよるけれども、とても自分なおかげは受けられんと言った様なものが、何時も心の中に有るからおかげにならんのです。それから暫く又トロッとしましたら、今度はそれから眠りませんでした。今の事を神様にそのお知らせを頂いてから、お願いをさせて頂いておった。
そしたらです。音もなしに私の部屋の戸が開いた。入り口の襖が、ほう音もなしに襖が開く、と自分一人で開くと言った様な事があるていなと思うて、こう見た所が、丁度開けた所、そこは板張りになっとる。私の手洗いのある所の前に、そうですね、三十二、三才位の婦人の方がそこに手を付いて坐っておる所を頂いた。何かゾーッとしました。ですから、ああこれは霊だなと思ったんです。そして勿論一言も言いはしませんけれども、どうぞよろしくお願いします。という表情です。
まあだその人の顔人相を、今でもはっきり覚えておるです。丁度薄い緑の萌黄ですかね、色の洋服を着て、そしてその女が坐って、丁度部屋の中に入り切らんでそこん所へ坐って、私にいうならばお願い致します。と言うておる感じです。それで私はそう言う様なお知らせを頂いたり、お夢を頂いたりするもんですから、その事を金光様にお願いさして頂いとりましたらね、こう言う事を頂くのですよ。温泉マークですね。温泉マークの真中に一本あるだけの所を頂く。
例えば温泉・お風呂と言えば、いうたら極楽と言う所です。言うならばですね、極楽行きを誰でも願わん者はありませんけれども、その人は例えば一本しかないからもう二本足らんのです。私はこれから思わして貰う事に、合楽で御信心を頂いておる方達が、皆さんが例えば色んな意味でおかげを受けて、精神的にもおかげを頂いておられる。例えて言うなら衣食住に不自由どもしよる者は一人もいない、という程におかげを受けておるのですから、極楽とは行かんでも地獄じゃないです。
皆さんの場合どんなに心に苦しい思いをする時でも、ここにお縋りして来ると心が晴ればれになる。同時にまたおかげを頂いて行く。ですからこの人の場合も、この霊の場合もですね。皆さんに繋がっておる御霊ですね。合楽に御神縁を頂いておる。もうそれは沢山の御神意を頂いたという程しの、人のつながりのある、かかわり合いのある霊達は、大体において助かっとるです。いうならば、皆様方の霊様には、地獄の苦しみを受けとる霊は、まずないというてよい位です。
それは合楽の教会にご縁を頂いとるからです。その事を皆さん、お礼を申し上げねばいけませんね。私共が信心は出来ません、合楽にご縁は頂いとりますが、おかげで霊達までがおかげを頂いて、助かる家庭にあると言う事、助かる事に精進しておると言う事です。だから、私が今日お取次ぎさせて頂いたその霊は、まだ本当に助かる術をようやく知ったばかりの霊、という感じですね。
ですからこれにもう一つ、これが三本出来た時が、極楽な所最近合楽でいうならば、この世に極楽を。という様な御理解を毎日最近頂いとりますが、今日改めてです。これは私共だけではない、霊の中に助かっていない霊がある。ならばより限りなく霊達も助かって行く事の為にです、やはりお取次ぎを頂いて、助かる手立てを作ってあげねばならないし、また霊としてもそこん所の願いに、いわば来ておる訳です。そこでならこれにもう二本、こう書いてますと極楽温泉。
なら極楽というてもピンからキリまである。地獄でもピンからキリまである様にです。またその中間なら中間の世界も沢山ある様に、私共が助かる。金光大神の取次によって、私共が始めて助かった時にです。金光大神のおかげで。と言う事になる。金光大神が私の大の恩人である。と言う事になって来る。私は、そこまで行かなけりゃです。最後の所に、まさかの時には、天地金乃神というには及ばぬ金光大神助けてくれと言えばおかげを授けてやると言う事はです。
金光大神を恩人として、日頃おかげを頂いておって始めて言えれる事だと言う事を、今日私は改めて感じさせてもらうです。だから、日頃におかげを頂いとかねばならないかと言う事、例えば、信心を頂いておりましてもです。先に頂いとるそのお夢の女の方の様にです。自分はこういう悪い事をしてるから、とても自分はお願いしたっちゃ助かりは切らんと、もういうならば、この人から殺されても文句は言えないのだと、そういう考え方から私共が脱却しなければいけないです。
そういう考え方でおってはです。如何にまさかの折に金光大神助けて、と言っても助からん、日頃そう思うとる。いかに例えば心にスッキリとお詫びをさしてもらい、許されたという。日々しかも許されている印に。この様に日々おかげを受けておるという人がです。始めてまさかの時に金光大神と言うて助かる事が出来るんだと言う事を思います。同時に今日私がお取次ぎさして頂いた、霊の方なんかの場合はです。
そういう金光大神の御恩徳とか、そう言う事は解らんなりだけれども、自分がいうならば地獄の苦しみなら地獄の苦しみをしておるから、唯藁をも掴む思いで救うて下さい。助けて下さい。とこう言うておる。そう言う所からお互い霊に限らず、私共に限らずそういうおかげを頂くのですけれども、そんならおかげを頂いてもです。ここん所に、金光大神の言う事に背かぬ様よく守って信心せよと仰せられるそこからがです。
金光大神の言う事をよく守って信心さして頂いとる内に、自分の心の中に罪を感じたり、悪を感じておった。それが段々綺麗になって行く。そしてこの行き方でさえ行けば、おかげの頂けん筈はないと言う程しのおかげを、はっきりそこに頂いて、そしてまさかの時に金光大神と言える時に初めて、金光大神と言えば助けてやるという、助けられるおかげが受けられるんだと思います。
今日の御理解は非常にだからいわば、深い意味あいに於てこの御理解第四節を聞いて頂きました。自分の心の中にです例えば俺の様な自分の様なと、それはわれ屑の子と言う事は別ですよ。けれども例えば自分がね、自分のごたある者んじゃおかげは頂き切らんと思う様な思いは、取れてしもうておかなければ、まさかのと時に役に立たないです。相手が殺そうというなら逃げておりながら、殺されても文句は言えんと言いよる。
もうそこに私がいなかったら、もう殺されねばならなかったんです。だからそういう心の、言うならば心の正常化とでも申しましょうか、絶えず自分の心と言う物を綺麗にして行くと言う事の精進、いわゆる真善美を願い求めての信心を日頃さして頂いてはじめて、そこに金光大神のお取次ぎの働きのおかげと言う物を実感する事が出来る。そういうおかげと願うておってですよ。それでも矢張り突発的な事がある。
それこそ天地金乃神と言えない場合、言えない様なけたたましい時もある。金光様のただ金光様も、言えない様な時もある。ただ心に金光様と感じるだけそれでも良い。それでも、例えばおかげが頂けれる。けれども常日頃がです。教祖金光大神の言う事に背かぬ様よく守って信心しておかげをそこに頂き、表わして行きよらなけれねば、最後の所の助けてやるという働きにはなって来ないと言う風に思います。
どうぞ。